「A LUNCH」から「ZERO」まで。
インディーズに戻って一番最初に出したのはA LUNCHのミニアルバム「First Food」でした。
ちょうど、自身のバンドのボーカルが脱退し、バンド自体空中分解してしまったやっすん(かつて一瞬だけわたしのマネージャーも勤めてくれました。倉子さんになるまで)と、
いろんなギタリストを探しましたが、
やっすんの元バンド仲間のクーロンに声をかけて、
スリーピースのバンドを組みました。
気張らずに単純に音楽を楽しもうという主旨でやっていたバンドです。
バンド名はわたしが考えています。
食べ物の名前にしたかったのと、
天野のランチにかけて、この名前です。
ディナーよりお手軽に食べられる的なイメージで。
やっすんの書くキャッチーな曲も、クーロンの書くベースに洋楽があるんだろうなと思わせる曲も好きだったので、
そこに歌詞を乗せれる喜びもありました。
メンバーの一身上の事情で、ひとり東京を離れる事になったので、
A LUNCHは半年ほどの活動で幕を降ろしましたが、
バンドの楽しさを味わえた、わたしには大切な半年でした。
A LUNCHの衣装は、つなぎです。
本当は白いつなぎが着たかったんだけど、女性サイズがなくてよ。
A LUNCHのミニアルバムとほぼ同じ時期に、Howlingのレコーディングをしていたかと思います。
Howlingは、5枚同時シングルとベストアルバムの間に、
もし新曲を書くのならこのタイトルにしようと温めていたものでした。
マイクとスピーカーなどがハウリングを起こしてきーーーーんと鳴る現象と、
人と共鳴するという言葉にかけて書いた曲ですが、
突き詰めて行くと、音と感情で人が共鳴するというのは、音楽の事なんだよなぁと思いました。
音楽って、ロックって、愛ってどういうものですか、という大きな問いに、
自分の答えをきゅっと詰め込んでしまったような気がした曲でした。
HowlingのジャケットA写撮影は、
わたくし病み上がりでした(ノロウィルス)
半袖ですが、12月末日に撮影しております(べ、べつに寒くなんかないんだからねッ)
Howlingの後にはZEROに取りかかったはず、です。
英詩バージョンも一緒に作って欲しい、というオーダーだったのですが、
英詩と日本語詞の譜割りが言葉的にどうしても同一にはならないので(同一にすると、音楽としてところどころ非常に納まりが悪い事になる)
どちらかを基準(=原曲)にしなければならない事、
日本詞を英詩にすると、
メロディに対する言葉数が圧倒的に足りなくて、英詩を極端に増やさなければならなくなると感じた事、
日本詞で意訳していく方が簡単な事、
英詩を作る方が絶対的に時間がかかるなどいろいろを考え、
英詩を原曲とする事を、制作過程で決めました。
だからアルバムに収録する方は、原曲にしました。
フル英詩曲がアルバムにぽつんとあるのはとてつもない違和感なのではないかと、
英語曲をちりばめる事にもしました。
Helloを書いたのは割と早かったです。2008年年始に発売したHEAVEN'S GATEより先かと。
糸電話もだいぶ早めからメロディは浮かんでいたのですが、
今も聞こえるのか、もう聞こえないのか、どっちに進むべきか悩み長い間歌詞が書けないままでした。
Jam Tomorrowはわたしからみなさんへのメッセージソング。今日食べるジャムがない、明日のジャムもない、でも明後日のジャムはあるよという、不思議の国のアリスの女王がアリスに言う騙し文句なのですが、先の見えない未来には、こういう騙しが必要な時もあるかなと。
16人分(たしかそのはず)ぐらいのコーラスを録ったHANDS。コーラス録りの方が主メロの歌入れよりもずっと時間がかかりました。これはまだライヴでやった事がないですね。
KITCHENもやったことないよね、ライヴでは。
SPY、歌うとすっきりしますね。
Primal ScreamとPolar Bear、これをライヴでやる日が来るとはおもわなんだ(去年の裏AMN)
今から思えば、あの頃はいろんな意味で変換期だったのだと思います。
何も考えずに、自由に自然に楽しく曲を書けなくなっていった時期が続いて、
また楽しく曲を書けるようになるまで、少し休みたいなと、ずっとその事を考えていました。
活動封印を心に決めた後は、
楽しく書ける自分が戻ってきました。
決めたから戻ってきたんだろうけど、その感覚が何よりも嬉しかったです。
江ノ島のお猫様と。