たんぽぽたち。

雑音生活 ひとりごと

たんぽぽたち。

友だちというものは、
みなさんにとって、どういう人を指しますか?

遊び相手、相談出来る人、
会話が途切れても平気な人、
離れていても、会うと時間が巻き戻ったみたいになれる間柄の人、
職場の同僚、学校の友だち、幼なじみ。

いろんなタイプの友だち付き合いがあると思うけど、
では「仲間」という存在は、その中でどういう人を差しますか? 

わたしは、正直に言えば、プライベートな友だち付き合いを大切にはしていないダメ人間です。

まず飲めないので、飲みの誘いは来ません。
一緒に遊びに行こうなんて誘われる事も、誘う事もありません。

ちなみに、音楽仲間などの仲間からの誘いがあったら、
どうしても都合が付かない以外は、時間を割きます。

仕事はもちろんですが、仲間との時間を優先してしまうから、
友だち付き合いが希薄になるとも言います。

プライベートな友だちは、数年に1度ぐらいでいいのです。
わたしが近くにいなければどうしようもない状態が勃発してたら話は別ですが。

 

アマチュア時代、
弾き語りをしていた頃、
3人の音楽仲間と戯れておりました。

わたしを入れて4人。

全員アコギの弾き語りで、わたしは紅一点でした。

なんかめっちゃ恨み節歌う女の子がいるよ、とかいうような、
そんなような話(だったに違いねえ)を人づてに聞いた3人の中のひとりに声をかけられ、
お前面白いし、女の子の弾き語りは治安的に危ないから、俺らと行動しな、
俺たち隔週でバーで歌わせてもらってんだけど、月子も次からおいで、
と、わたしが歌えるスペースを守り、与えてくれたのです。

1年ぐらい、彼らと一緒に行動しました。

空の下で、小さなバーの中で。
週に1度〜隔週のペースぐらいで。

1年ぐらいしたら、バーのマスターから追い出されました。

理由は「月子以外、誰も新曲を書いて来ない。俺はお前たちに表現の場所を与えているんであって、屋根を貸してやってるわけじゃない」というものでした。

なのでわたしだけ、これからも歌いにおいでと言われました。
わたしは、残りませんでした。

そして数ヶ月後に、わたしはその土地を離れ、そのまま仲間と散り散りになりました。

わたしたちは、連絡先を交換しませんでした。
弾き語りしていた場所へ歌いに行けば、誰かしらは見つけられたから、あえて交換しないでいたんです。 

偶然会える時が、俺たちの会うタイミングなんだ。だからお互いの連絡先なんて必要ない。

青春をぎゅっと閉じ込めたかおりがしそうな、
映画のひどくキザな台詞のような、
はたまた大地を移動し続ける遊牧民のような、
そういう漠然としたものだけで繋がっていました。

 

みんなと離れ、
新しく歌う場所を探すか、
ものは試しにオーディションにでも出そうかと思った矢先に、
扁桃炎で入院し、
半年、ドクターストップを余儀なくされました。(喉がつるような感じで歌えなかった)

その約半年後、オーディション用に作成したデモテープのひとつが、
友人の手から音楽関係者の手に渡り、戸倉氏に届いたのでした。

そのまま15年以上、彼らとは一度も会っていません。

でも、世の中は便利になりました。
その便利さは、15年前とは比較にならない。

わたしたちは、探したい人を簡単に探せる時代に生きている。

 

あの頃の仲間は、今も歌っています。

4人中3人(ひとりはわしです)が、音楽活動を続けている。

時々思い出したかのように、彼らの音楽を聴きます。
それこそ、数年に1度の割合ぐらいで。

音楽や、表現に対する姿勢みたいなものの、
根っこの部分がどこか近い気がしたから輪に入っていったし、入れてもらえたのでね、
彼らの曲を聴くと、
懐かしさだけではなく、自分の基盤の部分が光を帯びて来る感じがするんです。
音楽って、そういう力ないですか?

わたしのデビューが一番早かったので、
きっと向こうは、わたしの活動を知っているはずです。

時々、思い出したかのように、向こうも聴いてくれてるかもしれない。

今の時代、いくらでも簡単に繋がれるでしょう。 
でも、わたしはあえて簡単には繋がらないでいたいのです。

偶然会える時が、わたしたちの会うタイミングだから。 

 

現在、たくさんの大事な仲間がいます。 
音楽だけじゃなく、表現仲間。

切磋琢磨し合える関係値もあるし、刺激を与えてくれる関係値もある。

彼らは、わたしにとっては、
かつて同じ場所に生えていたたんぽぽみたいなもの。

綿毛となって、風に運ばれて、それぞれどこかへ飛んでいったけれど、
それぞれどこかで咲いていてほしい、そんな仲間。 

たんぽぽ

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