水を得た魚。

雑音生活

水を得た魚。

水を得た魚の類語を兎の上り坂と言うそうな(下り坂は確かに苦手そうだよウサギ)

自分に合った環境の中で生き生きする様という意味だけど、
人によって、
「水=環境」となるものが違うだろうと思う。

社会から完全に孤立した状態では、
働く事も学ぶ事も出来ないから、
人はきっと誰でも、
本来の自分の軸からちょっとずつずれながら大人になっていくものだと思う。

自分って、本当はどんな人間だったっけ?って不安になったりする程度には、軸からずれる。
とても自然な成長過程かと思う。

 

去年は自分と向き合った年だったと言っていたある人のツイートを見て、
わたしってそんなに真面目に自分と向き合った事あったかな、、、?(汗)と一瞬思ったけど、

わたしがデビューするまでの短い準備期間内は、
自分の軸が本当はどこにあったのか、もう一度掴み取るまでの期間だったかもしれない。
大人になるまでに身につけてしまったものを一旦全部取り外してみる期間というかね。

自分と向き合ったというより、童心に戻る感じだったけど。

それは、
大人の仮面を被らされてたガキが、
剥き出しで生きる事を許されたような感覚でもあった。

  

水を得て、泳ぎ始めた魚、

今からちょうど15年前の自分は、こんな感じだったかもとふと思う。

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