嘘をつく時。

雑音生活

嘘をつく時。

嘘は、
真実をどこかで捻じ曲げたものに違いないけれど、
真実を捻じ曲げることを「詐称」と捉えるか「優しさ」と捉えるか、
結局の所は発信した人次第であり、受け手次第なんだと思う。

 

相手を必要以上に傷つけたくないから真実を伝えないという類の嘘や、
本音はちょっと違うけど相手の気分を害したくない嘘は、
優しさでもあるし、自己防衛でもあるし、おべっかでもあるけど、
誰かとの平和を願って吐いた嘘に違いない。

それは、誰かを大事に思っている証でもあるので、
この価値観とは合わないなぁと思う事があっても、
どっちが悪いとか、裁くようなものではないと思う。

この「誰かを想っての嘘」が理解しあえない関係値なら、
単純に根本的な価値観の相違なので、
一定の距離を置けばだいたい解決する。

距離を置かないと、ボタンを掛け違い続ける恐れがある。

  

時々、自己防衛でしかない嘘がある。

わたしはこの、
自己防衛でしかない嘘を吐く人の、ちょっとした弱さと、
そういう嘘を吐くバックグラウンドを想い、少し切なくなる。 

 

裁くべきなのは、誰かを貶める為だけに吐いた嘘だけ。
わたしが「詐称」と捉えるのは、この嘘のみだ。
ここには悪意しかない。

 

「いやぁ〜もう仕事が忙しくって参ったよ」の言葉の裏にあるのは充実感かもしれない。

「仕事楽しいよ!いろいろ勉強にもなるし」の裏側には、めっちゃ頑張ってる苦労があるかもしれない。

口から出て行く言葉は、所詮感情という氷山の一角でしかないから、
きちんと、相手が投げた言葉の、水面下に潜っている想いを理解していたいし、
わたしはきちんと、自分の氷山にある言葉を、誰かにまっすぐ届く事を願って吐いていたい。

 

嘘が許せない人、けっこういるよね。

どんな嘘であっても、嘘である事に違いはないから。

でも、
誰かの平穏を想って、悩んだ結果に吐く嘘は、
誰かの生命線になる事もあるよって、わたしは思う。

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