デビューするまでは、こうなりたいと思った事がないなという事を、今日話していてふと思った。
これ、どんなアーティストになりたいか、的な話です。
目指すアーティストとか、考えた事ないと思う。
これはアーティストに限らずで、
映画監督の名前とか、役者さんの名前とか、ブランドの名とかも、よほど好きじゃないと基本覚えないタイプ。
誰が作ったものなのかより、作られた作品の方に重きを置いている。
以前友人のシンガーソングライターが、
自分の楽曲の世界観を、誰かが自分よりも巧みに表現してくれるなら、自分は歌わなくてもいいんだけど、
自分の楽曲は自分が一番理解してるから、自分が歌うのを選んだ、
と言ってた事がある。
わたしの場合はちょっと理由が違って、
提供する事を考えてない曲の場合は、ひたすら自分の声に合う曲を作ってるので、自分が歌うのが一番いいのでは、
って感じだけど、
彼女の言ってる事もわかる。
歌詞の行間の感情を知ってるのは、作った人だけだから。
わたしは、メロディーにどんな言葉を当てはめたらメロディーが引き立つか、
っていうのに労力を使うタイプ。
もちろん逆も然り。
そこに自分の世界観が凝縮されてて、 メロと言葉での世界が人に伝わるかに重きを置いてる。
(そんなわけで、誰かの曲の作詞をするのもすごい楽しいのです。楽しいというか、メロに色を付けられるって事の幸せ感が強い)
だから、わたしは「こうなりたい」じゃなくて、もっともっと単純で、
自分の世界観を理解してくれるアレンジャーと、それを演奏してくれるプレイヤーがただひたすら欲しかった。
前も言ったかもだけど、
わたしはアマチュアの頃、
歌詞カードしか入っていない、音源のないCDを自分の作品として作った事がある。
音楽をはじめた頃、音をCDに焼くなんて作業は、自宅ではとても出来なかった。出来ても、DATとかMD止まり。
そんな時代だったからこその、CD型の詩集なのです。
そこに完成された音源が入る事と、工場でプレスされた歌詞カードが入る事が当時のわたしの一番の夢だった。
そんな夢はそうそう叶わないと思ってたけど、叶うもんだなぁと思う。
その夢が叶ったら、わたしには欲が出てきた。
自分の活動を支えてくれる人たちを、手放したくないという欲。
その時はじめて「こういうわたしになりたい」って思ったと記憶している。
それは、こういうアーティストになりたいって類の願望とは違って、
もっとこう、信頼とか、品質とか、気合いとか、そういうものなのだけどね。
ミシンの楽曲制作、わたしの方は完了しました。
やっぱり音楽を作るのは楽しい。