目蓋の内側では聞こえまい。

雑音生活

目蓋の内側では聞こえまい。

人は「実在する」と信じる、 
自分が妄想した、もしくは自分には実在するものとして映った何かを人に伝えようとした時に、
作者は持てる能力をフル活用して「実在化」に向かうため、
その情熱が結果的に人に「いるかもしれない」と信じさせる事が出来る産物になる、
という話を聞いたことがある。

すごく的を得た話なぁと思う。

例えるとすると、アニメだったらトトロ。
ゲームの零シリーズの霊たちもそうだよね。

トトロはいるかもしれないって思えるから、子供は夢中になるし、
自分は見えないけど、霊っているんだろうなって感じさせてくれるから、零は背筋が凍るほど怖い。

小説も、映画も、空想の産物。
 

わたしにとっては、音楽も空想の産物に片足突っ込んでる。

 

小さい頃から、木や地面や虫や機械にも、
感情があるんじゃないかという空想をしてきた。

動物には心はあるよね。
でも、虫は生命を脅かされた以外で、ぶわっと沸き立つような心があるかどうか、見てるだけじゃ分からない。

「あそこの花の蜜、マジやべーよ。あれは行った方がいい」
とか本当は仲間に話してるかもしれない。

 

人間には、聞こえない、見えないだけなんじゃないか。

 

猫はサイレントニャーと呼ばれる、
鳴いてるような口をして、喉の動きも鳴いてるような感じだけど、声が全く聞こえない行動をする時がある。

これは一説には、人間には聞こえない周波数の音を出している、と言われてるんだけど、
その説をわたしは信じてる。

 

 

わたしの音楽は、そういう「見えないし聞こえないけど、わたしが信じてるもの」がちょっと盛り込まれてる気がする。

 

目を閉じても、耳を塞いでも、もう二度と会えなくても、
わたしの妄想だとか、手触りのような記憶で「今、遠く離れた場所で前に進んでいるあなた」を感じるから、
目蓋の内側ではまだ聞こえる
のかもしれないが、
冷静に考えるとわりととんでもない歌詞だ、
ってのは分かってる。

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