路上やバーで歌ってはきたけど、ライヴ経験がほとんどなかったわたしが、
物は試しにオーディションにでも応募してみようか感覚で弾き語りのDEMOテープを作成し、
それをご好意でバーのお客さんがCDに焼いてくれて、
そのCDをインディーズバンドのマネージャー的なことをしていた友人A子ちゃんが、
そのバンドのレコーディングエンジニアのBさんに聞かせたところ、
A子ちゃんとBさんと3人で会うことになり、
「今、フリーでプロデューサーしてる人と仕事してるから、渡してみるね。プロフィール資料が必要だから、後でA子ちゃんに託しておいてくれる?今すごく忙しいみたいだから、返事が来るかは分からないけど」とCDを預かられ、
どうやらBさんは、わしの友人のA子ちゃんの事が好きで、
あわよくば付き合いたく、
A子さんとより接点を持ちたいという非常によこしまな理由でわたしのデモCDを預かっただけなんだけど(←つまり、別にわしの音楽がいいとは思ってないパターン)
2週間後ぐらいに戸倉氏から連絡が来て、
それから半年後の、A子さんとBさんが揉めに揉めて破局した頃に、わたしはデビューしました。
戸倉氏に渡したプロフィール資料は、
わたしの写真ではなく、似顔絵を添えていたのです。プロフにできそうな写真がなくてね(昔からまともな写真を撮らせない人であった)
のちに数々の後輩が「最初に資料としてもらった月のプロフはやばかった。まず本人の写真がなくて似顔絵だった。でも実物を見たら、似顔絵そのままだった」というネタ話としてさんざん聞かされてると思うので、
ここにさらしておきます。
みなさんはあんまりピンと来ないでしょ。
わたしはこういう子だった。
探せど探せど、こんな写真しかないわ。
で、その前髪はなんとかならんのかという長期にわたる会議の末に、
生まれてこの方トレードマークにしていたぱっつん前髪を伸ばすことにして、
伸ばし途中がこれ。
この1ヶ月後ぐらいに初A写撮影があって、
メイクさんからの「まゆげいじるな令」も出ました。
昔話した事があるかもだけど、
女の子のひとり夜道は危ないって言うけど、
危ない女の子の格好してれば安全じゃね?と、
すっとんきょうな服を着て夜道を歩いていたのも、ぱっつん前髪時代です。
わたしは昔から、ファッションもメイクも、自分という素体を使って遊ぶ人で、
女の子らしくかわいく見せるとか、モテそうに仕上げるみたいな事は一切なかった。
そもそも人間の姿形が好きではないので、人間ってところから逸脱した、マネキンみたいになりかったのかもしれない。
むしろこの見た目で、それとは裏腹な曲を歌う自分が好きだったんだけど、
見た目とやってる音楽がフィットしてないと、ちぐはぐしてるだけで、世の中的には難しいよね。
みんな曲に合わせてるでしょ、自分を。
わたしがデビューした頃は、女性シンガーソングライター全盛期だったから、特にそんな感じはあった。
どんなにハードロックが好きでも、演歌歌ってる人は演歌歌いそうな風貌に仕上げる。
というわけで、みんなが知ってる天野へ変貌を遂げたのです。
ほら、Howling、歌いそうでしょ(笑)
自分は素体って感覚なので、一生のテーマに出来る「天野」ってのがあるのは、わたしには幸せな事。
天野は、わたしの最大にして唯一の作品です。
天野じゃなかったら、今でも出来ずにいる事たくさんあったと思う。
もうすぐ活動18年目。
その日に、今まで活動を支えて来てくれたアレンジャー、ミュージシャン、スタッフのみなみなさまが終結したかのような、
アルバム「Five Rings」を出せる事、嬉しいです。
アルバム発売まであと4日。
みなさんにはどう届くだろう。