アコースティックアルバム「ホモ・サピエンス」ライナーノーツ。

ライナーノーツ

アコースティックアルバム「ホモ・サピエンス」ライナーノーツ。

予約くださったほとんどの方に届いた頃かと思います。

というわけで、簡単なライナーノーツ書いておきます。
アレンジの事とかあんまり話してないので、まだ聞いてなくても読んでOKよ。

この曲を書いたのは、2000年の12月ごろ。
デビュー前に、シングルになりそうな曲やら、アルバムの中にこういうのあった方がいいよねとか、ライヴにはこういう曲が必要だみたいなものを含め、まあとにかくいろんな曲のプリプロを作っていた頃の、
いわゆるシングル候補曲のひとつでした。

かねてより、
「彼氏が電話出てくれなくてさ〜〜〜、最近残業してるとかメールが返ってきたけど、毎日22時とか23時ごろまで仕事してる〜?信じられなくない?めっちゃ着信入れてるのに折り返しても来ない」
みたいな会話を耳にするたび、

と思ってきた天野ですが、

そういうわたしであるからこそ、天野の愛し方を曲にして来なさい、というお題のようなものが出て、
それで作った曲のひとつです。

わたしは、自由であるのがとっても大事。
相手もそうじゃないと難しいだろうなって、ずっと思ってる。

学生の時の友人の会話で、
あの人はさ、すっごい最低な男だけど、最低すぎてこっちはいい女になるしかないから、最高な男なんだよねぇ
って話しあった事を、この曲の中に封じ込めてる。

ホモサピエンスバージョンはその、
ふたりの最低で最高な感じが伝わるといいなって、そんな事を思いながら歌った。


人は他人を攻撃する本能が備わっている、事に対する曲だけど、

誰かに直接指摘が出来るのは、その指摘をした事をある意味見守っていける近しい間柄だけだと、わたしは思っている。

ちなみに、近しいとこちらは思っていたがそうではなかったらしい、となって、
ひたすら他人の庭に土足で踏み入れているパターンになる事もあるので、
指摘っていうのは得てして難しい。

多分、どこにプライドを持っているかがそれぞれ違うんだろうな。
そこを踏みつけると地雷が爆発するのだろう。良かれと思ってした指摘でも、火の粉を浴びる事もある。

顔も名も伏せた状態で公に指摘するって事は、
安全圏から石を投げている行為で、ただの陰口でしかないって事を、人間はそろそろ気付くべき。
こんな事、井戸端会議って言われていた昭和の頃からまったく変わってないし、
なんなら、その時代を知らないから分からない事なだけで、はるか昔の、太古から変わってない事なんじゃなかろうか。

ちなみに、
最近は、指摘を受けるっていう事自体に不慣れな人が急激に増えたように思う。
人と人の距離が、昔よりもずっと離れているからだろうなぁ。

ホモサピエンスバージョンのカラっとした感じ、いかがでしたでしょうか?


別れを切り出す時に相手の幸せを願える関係というのは、
愛しさや感謝の気持ちが強く残っていて、
なおかつ、自分が幸せに出来なくて申し訳ないという後悔があるパターンだろうと思う。

わたしは人間に対して、自分から別れを切り出した事がないので、
想像でしかないけどね。

でももし、
自分の近くにいる人が、
自らの人生を試す旅に出たい意志を持って、自分から離れていくなら、
わたしはこれまで一緒にいてくれた感謝の気持ちを持って「幸せでありますように」と願うだろうと思う。

という気持ちを込めて書いた曲です。

関係性が近いほど、食べ物の思い出がたくさんある。少なくともわたしはそう。

だから、一緒に行ったレストランに、もう二度と足を運べなくなる人もいたりするよね。

わたしはひとりでも足を運ぶタイプです。
思い出のある美味しいものは、ひとりで食べても美味しい。


わたしは人形が好き。
ドールだけじゃなく、ソフビも超合金もぬいぐるみも、わたしには人形みたいなものだと思っている。

わたしにとって人形は、
自分が売ったり捨てたり壊したりしなければ、ずっと自分の手元にあるものだという認識で、
だから好きだったりするんだけど、

生き物と住むようになって、人形へ対する愛情が薄らいだように思う。
愛情というか執着というか。

この曲は、自分の人形というものに対する気持ちをそのまま、
自分へ向けられた愛情へ置き換えると、ひたすら苦しいものになる、
という変化があるなぁという視点で書いたような感覚がある。

物心ついた頃からわたしは反抗的な子供で(よく言えば、自立心が強いとも自我が強いとも言うね)
わたしはあなたとは考え方が違うから、あなたの意向に添うことはない、だからわたしを諦めろ、
という行動を繰り返してきた子供だった。

母親に、いわゆる世間的な意味での「いい子」に育てる事を諦めてもらう所から、わたしの人生はスタートしたと思う。
まだ5歳にもならないような子供から、
一般的にはこうだという物差しじゃなく、目の前のわたしを理解しろと提示されるのは、
親としてはけっこう大変だったかもしれない(ムカつく子供だったろうねぇ)

きっと多くの人は、親離れし始める思春期の反抗期にそれを通過するんだろう。
わたしには、いわゆる反抗期がない。
反抗期を迎えている子供を持つ友人の悩みを聞く事も増えたけど、
その度に、
あなたの子供は、あなたの事が大好きで育ったんだねぇ〜〜、と思う。

ホモサピエンスバージョンの、原曲とはひと味もふた味も違うのに、
同じ方向を向いていると感じられる所がとても好きです。
どっちのアレンジも最高。


ちょうどこの頃に、「遺伝子レベルで」って言葉が出始めたんじゃないかと思うんだよね。
おお〜〜〜いい言葉〜〜〜遺伝子レベルとてもわかる〜〜〜〜って気持ちで、
遺伝子レベルで好きとはどういう事か、ってのを曲にしてみたです。

昔、
まだ曲を作り始めたような時期だけど、
友人に曲を聞かせたら
「すごくいいって伝えたいんだけど、語彙力が追いつかない、脳味噌開けて見せたい」
と言われた事があって、

説明できない感情の言語化の最適解を知った気がしたのです。

好きって気持ちには、本当は理由なんてない。
嫌いって感情の方が、言語化しやすいと思うし、そこへの同調も生まれやすいから連鎖もする。
ウマが合うとか、フィットするとか、居心地がいいとか、その理由は言語化出来ない。

言語化できないような間柄は、
その関係を覆すこともなかなか出来ないので、結構奇跡的だと思うんだけど、

なんか無理やり言語化しちゃうと、
言語化してしまった功罪で関係が崩れて、終わると思う天野ですよ。

言葉が通じない相手には言葉で伝える天野だけど、
麦さん大好き〜って話しかけると「ウゼエ」って顔をするから、
あいつはそろそろ日本語リスニング出来てると思う。


この曲は、ゲーム零〜刺青ノ聲〜のエンディングテーマソングとして書いているけど、
ゲームのディレクターさんからは、
「これからもずっとあなたを覚えています、絶対に忘れないっていう、ライオンのようなテイストの曲が欲しいです」
と言われていました。
(この話はオフィシャルにも既出だと思うので書いておきます)

そもそも「ライオン」の曲には、未練のようなものを滲ませた記憶は1ミリもなく、
むしろこれまでの精算をして、これからの一歩を進み始めるってテイストなんだという話をしつつ、

亡くした人の事を、これからもずっと覚えています、忘れないというように、わたしは歌いたくありません。
なぜなら、
その気持ちをずっと抱えてながら生きた先に、相手に会いたい気持ちが急激に高まってしまったら、死を選ぶ事に繋がるからです。
音楽は、誰かの背中を押す事が出来るアートだと思っているので、
死を選びかねない背中だけは押したくない、といったような事を、
ディレクターさんとの間に立っていた、戸倉氏には伝えていました。

なので、
細かなことなんて忘れてもいいよ、
すべて忘れることなんて絶対ない、
という気持ちで曲を書きました。

想い続ける事のかなしさと、覚えていたいのに忘れてしまう事の悲しさは、イコールだと思うので。

今の時代は、映像として簡単に残せてしまうから、
声をずっと忘れずにいられるかもしれないね。

アコツアーでも何年かに渡って披露してきたけど、
ホモサピエンスバージョンは、原曲よりもぐぐっとダウナーです。
実際に、ライヴで立体的に聞いた方が世界観が伝わるアレンジだと思うので、
ツアーに来られる方、楽しみにしててくださいね。


これは「人形」のところでも話したような事だけど、
マジョリティー側にわたしはなれないなと、小さい頃から思っていて、
その性質を変える事が出来ないまま生きている自覚があるです。

手のひらを返された事ってありますか?
急にちやほやされたりするパターンと、急に冷たくされるパターンとあると思う。
自分に降りかかった事だけに留まらないけど、
手のひら返しされた事がある人って、いると思う。

わたしは、
幼少期に、手のひらを返しまくる人を見てた経験がある。

とっても明るく、丁寧に振る舞って、
大して深い付き合いでもない、目の前にいる人の事を褒めまくって、
人付き合いがうまそうな雰囲気を出しまくっているのに、
さっき褒めまくった人が目の前からいなくなった途端に陰口を叩きまくる、
というのを、
こいつクソヤロウだなって思いながら見てた。

わたしに裏表がないのは、そういう人を見てて、
絶対にこうはなるまいと、心に誓ったから。

正直に生きるってのは、孤立して輪を乱すことにも繋がる。
言われたら喜びそうな言葉なんて咄嗟には出ないし、
大して大きなリアクションも出来なかったりするけど、
でも、正直に生きてたいな。

花を育てるのが上手な人を、グリーンハンドと言うけど、
わたしはその逆で、枯らし屋です。
この花はドライフラワーにはならないと思うって言われた数々の花が、
わたしと共に過ごす事で、あっという間に美しく枯れる。

こういうタイプの人は、
周りの英気を吸い取って、自分の中に取り入れてしまうとも言われている。

もう、あんまり吸い取りたくないし、
こいつ吸い取る人だって気付いても、天野から離れないでやって欲しいな(笑)
吸い取りたいわけじゃないんだぜ(笑)

あんまりうまいこと人生回ってないって感じてる人に、
ダメで上等ってものを込めたこの曲が届くといいなって思っております。


この曲の原曲は、
声帯にトラブルがあった時に歌入れした苦い思い出があって(「天龍」の「骨」は半分仮歌なんです。かっすかすの声でしか録れなかったので、仮歌とミックスしました)
そのリベンジだ!!!!みたいな気持ちで歌いました。

完成視聴会でも、Xでも言ったけど、
近くにいる誰一人亡くした事がない状態で、
それでもいつかわたしより先に君たちは逝くのだろうという気持ちで書いた曲ではある。

わたしは、別れることを想定して、人と付き合わない。
それは友達も、仕事仲間もです。

だから、いつかは別れるってのを思うと、死別に行き着く。

形に残るものより、残らないものが大事な人間なので、
遺骨って、全然大事に思ってなかったりはする。
骨は、その人の生きた証ではない。もっと他に大事なものが継承されてるし、残ってる。

アクリルの画材に、
骨を砕いたみたいなテクスチャーがあるんですよ。
絵の具をざらざらさせて、乾くと漆喰の壁みたいになるものなんだけど(テクスチャーの名称忘れたぜ)

それであんな歌詞ではあるよ。

もう二度と書けない幼い曲だなと思うので、
なるべく書いた当時の自分を表現しようと、ちょっと若めに歌いました。
あー違う、この声じゃないってので、最初の2テイクぐらいボツです。
とっても納得がいくテイクで録れた。

すごく綺麗な曲に仕上げてくださった演奏陣のみなさんに感謝。


「ホモ・サピエンス」4月1日発売だけど、すでに発売中です。

3末より実質的なツアーの準備で、通販業務の休業が多くなるので、
ツアー前に聞きたいって方はお早めに購入してあげてください。

特典ステッカー、3月31日購入分までお付けします(多分足りると思う、多分)
たくさんの予約をありがとうでした。

通販サイトこちら
https://headamplab.base.shop/items/100006308



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