何者か、という事。

雑音生活 ひとりごと

何者か、という事。

そういえば先日、友人(温熱療法士)に誘われて陶芸をしてきた。

醤油皿。肉球のところにわさびとかも仕込める(笑)


わたしは、単純に黙々とものを作る時間が本当に好きなんだなと再確認したりもしたけど、
陶芸教室を教えてくれた友人は、それはそれは人付き合いが上手で、
土足で踏み込むわけでもなく、慎重すぎるわけでもなく、さっぱりと適度な距離を取りながら、しかし正直に人と向き合う感じで、
本人は自覚してさえいないかもしれない、気付けば友達になるそのスキルの高さを改めて確認したかのような時間でもあった。

対してわたしは、「天野月」という名前のままでいられない環境下だと、人と仲良くなるのに時間がかかる。
(ちなみに陶芸に一緒に行った友人は、デビュー以来のお付き合いです)

音楽をやっているんだよと紹介されてしまうと、
概ね、へえ〜何の楽器を演奏されるの?と聞かれてしまうのだが、
歌だとは言えずに「ギターです」とかになる。
もっと距離を置いていたいなって場合は、作詞作曲家です、となる。
嘘は言ってないけど、事実ではない感じ。

こんな感じに、自己紹介の時点でつまづいてしまうので、結果なかなか友達が出来ない。
わたしぐらいの、ないようであるかもしれない程度の知名度だと、
身バレする事なんてほっっっっとんどないので、
活動名を明かす事が面倒くさかったりもするのだ。
この職業は、世の中的には少数に分類されるし、
「好きな事を仕事にできていいわね〜」的な返答に困る事も言われるから、実に面倒臭い。

わたしが「天野月」だというのを最初から知ってくれている人は、
自己紹介をすっ飛ばせるから、とても楽。
その逆で、デビュー前からの付き合いも、とても楽。

稀だけど、途中から自分が何者であるかを明かすこともある。
それは「天野」を活動する上で、必要な人材だと判断した場合。

最近自分が何者であるかを伝えたのは、ボディーメンテナンス兼パーソナルトレーニングをしてくれているスポーツトレーナー。
去年の6月、持病の腰を再発させて以降のお付き合い。
トレーナーさんのおかげで、AMNのステージに立てたと言っても過言ではない、プチ恩人。
整形外科だけではどうにもならない、事故後のメンテナンスもして頂いている。

整形外科に勤務し、その後鍼灸院に勤務し、スポーツメディカルトレーナーとなった彼は、
わたしの知り合いの中で最も若く、なんなら息子でもおかしくない年齢だったりするけど、
ま〜とにかく仕事が好きな人で、
トレーナーとしての腕だけではなく、
たくさんの人の身体に直接触れて施術する仕事柄もあるのか、
人との距離を取るのもうまい。

それこそ、陶芸教室に連れていってくれた友人と、そのあたりが被る。
(起業して成功する人って、こういう人たちなんだろうな〜〜〜と思う。ふたりともいつか、それをひょいっと成し遂げそうだ)

そんなわけで、自分が何者であるかを話して以降、
トレーナーさんもわりといろんな話をしてくれるようになったのだけど、

ご兄弟の末っ子で育った彼の上のご兄弟のひとりが、
世界に10人ぐらいしかいない非常に珍しい障害を持って生まれてきて、
20歳を迎えられた症例がないと医者から言われていたが、
ご兄弟は30歳を超えて、
その病気を持つ人の中で最高記録を更新している、
という話をしてくれた。

なんだか、この人から滲み出ている人への情の持ち方とか、この若さのわりに達観してるような感じはここからなのか!と妙に腑に落ちた。

あらゆるものへの偏見、
例えばLGBTQ、何某かの障害を持っている方に対してなどの、
多数と少数に分けたら少数に分類されるものへの偏見の事だけど、
それは、
自分の身近にはなくて、よく知らないから起こる事が多いと思っている。

知っていたら、それは急に身近な愛しい誰か、親しい誰かに変化する。

現代の、多様性多様性と声高にしていく事も、知ってもらうためのプロセスとして大事かもしれないけれど、
本当の意味での多様性は、

あなたがどこの誰で、どんな価値観を持ち、
どういう過去があった先の現在に生きていても、
特段なんとも思わず、ごくごく当たり前の事として受け入れる事だ、

とずっと思っているんだけど、

ご兄弟の事を話してくれた後で、多様性についてわたしと同じような事を話していて、

そうか、
わたしはきっと、君はシンガーソングライターという職業に何にも偏見を持たないだろうって感覚があって、
珍しく、自分の活動名を伝える気になったんだなぁ、と思ったりした。

陶芸教室の先生も、もうちょっと仲良くなりたいんだけどな、
自分が何者なのか、いつか話したり出来るだろうか(笑)




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