ここ数年、
そうですね、KY、リア充という言葉が出だしたあたりから、
恵まれた環境にいたり、
幸せを謳歌している事を隠すような、
世の中的にそんな傾向にあるような気がしています。
苦労している中で一生懸命な事が美学、的なアレです。
しかし、
苦労してるからこそ無我夢中になるじゃないですか。
無我夢中になると、余裕なんてなくなるんで、空気読んでる場合じゃなくなる。
空気読めないと、叩かれる。
だから空気を読み、頑張ってる事を隠して目立たないように生きる。
でも、目立たなくちゃね、
叶うものも叶わないとわたしは思うの。
世の中は、本当は競争社会だ。
弱肉強食で、食うか食われるかなのです。
目立つって事は、孤立に近い。
でも、人は孤独だからこそ誰かを想うもの。
誰かを想うから、誰かから想われるもの。
「EUPHORIA」は多幸感、という意味です。
今、世の中的にはEUPHOBIA(幸せ恐怖症)なので、
あえてEUPHORIA(多幸感)というテーマを据え、
アルバムの1曲目として書きはじめた曲です。
自分の欲しいものに、真っ直ぐがむしゃらに向かうのは、
最高にかっこわるくて、最高にかっこいい。
わたしはそう思います。
そう、ただ叫びたかった。
アレンジが完了する前に、途中経過の状態で歌入れした曲って意外と多いんですね、わたし。
この曲もそうです。
途中経過の状態で先に歌を入れるっていう事は、
自分がサウンドに引っ張られる状態ではなく、引っ張る状態に近い気がしています。
この曲はこういうアレンジだからこう歌おうではなく、
わたしの呼吸に合わせてくれる感じというか。
受動態ではなく能動態であり、
しかし「歌がただのひとつのパーツでしかない感覚」でもある、というか。
EUPHORIAの完成音源をはじめて聞いたとき涙が出ました。
涙がね、ぶわっとしました。
あんまり上手く言えないですが、合致したとか、完成したという感覚でした。
このアルバム1曲目という位置だったり、
ただ叫びたかったんだという気持ちだったり、
そういうものが補強されておのおのがぴたぴたっとくっついたというか。
曲は、頭で考えずに気持ちだけで、平たく言えば無我夢中で書いたので、
どういう曲になるのか俯瞰で見れなかった部分があったんですね。
そういう部分をアレンジ、ミックス含めて「こういう曲ですよ」って教えてくれた気がしました。
なんだかすごく嬉しくて、
幸せな気持ちになったのです。
聞いて下さる方も幸せな気持ちになるといいなぁと、
わたしが受けた感覚に似ているものが伝わってるといいなぁと、そんな風に思います。