本当に楽しいライヴすぎた音の倉。
なんだろな、
刺激を頂ける存在って、わたしには本当に大事で、
それが刺激的であればあるほど、自分の栄養になるタイプなんですよね自分。
ニコ生でも言ったけど、
今回の音の倉はそういう「隣の芝生は相当青いから、こっちもこっちの色で勝負しちゃうよ」というメンツばっかりだったんだよね。
「隣の芝生が青いなぁ」と引けを感じて自分の位置が揺らぐメンツでは、
こうはならなかったと思います。
同じステージ上の、その空気が変わって行く様、万華鏡みたいだったでしょ?
トリが決まった時から、
このカオス感いったいどう纏めろとwww
と思っていました(笑)
当日カメラマンを務めてくださったのは、レコーディングエンジニアの山本さん。
わたしのここ最近のアルバムも録ってくださっている方ですが、
鉄仮面団のみなさんはもう少しピンと来るでしょうか。
ボーリングの山本さんです。
山本さんは、最近はカメラにはまっておられるようで、
音の倉前日に巨大な望遠レンズまでご購入され、当日の模様をカメラに収めてくださいました。
ありがとうございました。
リハの模様とか。
山田章典師匠と、兄弟子であるバグの陽一くんの後の出番となるしんくん。
師匠の事も、歴代のお弟子さんふたりの事も知っているわたし。
少し緊迫感のあったしんくんに、当日お茶をしながら
「(音の倉における)わたしたちの武器はただひとつ」
と確認し合いました。
それは
わしらの一体感!!
出演オファーを快諾してくださった花音さん、ありがとうございました!
花音さんの演奏してる姿がかっこいいのに普段はもの静か、しかし話すとキュート、声までキュートなところ、わたしはツボでございます。
花音さんの静かな時の流れが、花音さんの中にある、そういう人だと思っています。
是非、花音さんのライヴにて、会って確かめてみて欲しいです。
あまの歌いますよ。
アンコール一番最後、ナイトメアをやらせて頂きました。
一緒に同じ曲を歌うとね、相手の歌を聞きながら歌うじゃないですか。
しかも追っかけとハモの繰り返しだからねこの曲。
まいちゃんの初ライヴからこの曲一緒に歌って来てるから、
別に先輩風吹かせてるわけじゃないけどさ(芸歴ではほぼ同じなのよ、まいちゃん)
まいちゃんの歌が進化してる事が如実に分かるんですよ。
なんか感動したなぁ。
カーテンコール。
お越し下さったみなさんありがとうございました!
本番、JJとあっきー、わたしのステージを客席の後ろで見ていてくれました。
打ち上げの席で、
「すごい良かった。僕らの時とは違うけど、それが良かった。僕らとでは出来ない事をしてる」
とあっきーに言ってもらえました。
嬉しかった。
来年から本名の吉田茉以で音楽活動する宣言をしたトップバッターのmaiちゃん、
山田先輩のベースが好きで、わたしのライヴを最前で見てた事もある鍵盤弾き兼コンポーザーの380ちゃんと、
RTZのライヴ会場ではじめてお会いし、曲を書かせて頂いたり、ジオレプを一緒にやったりした、個人的に人としても大好きなはるさんのユニットRoots、
1年前からこの日でのデビューへの準備を一生懸命努力して重ねて来た、音倉のルーキー黒瀬友紀ちゃん、
ピュアで透明で、まるで透き通る水のような存在感を放つわたしの先輩、奥田美和子さん、
実はほとんどのメンバー10年来の付き合いなBugTheMic(ドドスコスコスコ♪が頭から離れない)
あんど、わたし。
みんなそれぞれキャラも役割も音楽性も違うけど、みんな繋がってるんだよね。
戸倉氏を中心に。
なんか、家系図みたいだ、と思いました。
当日の司会をしてくれた、ほのぼのとしながらも熱い気持ちをぎゅっと胸に抱えている音倉の母のような存在の倉子さん。
ファミリーのみなさん、ファミリーを愛して下さるみなさん、これからもよろしくです。
カーテンコール、出演者ひとりひとり挨拶したのですけど、
最後にバックバンド代表として呼ばれてしまって若干もにょった感満載の、のぞむくんの写真でも。
出演者のみなさんがBlog上で、それぞれの想いの丈をぶつけられていたので、
わたしもちょっとだけ書きます。
奥田さんと、戸倉氏との出会いについて。
上手く綴れるか、自信がないですが、
この機会を逃したら、この先言う時がないかもしれないので。
奥田さんがデビューされたのは2000年、「しずく」という曲。
そのCMを当時アマチュアだったわたしはテレビで見ました。
三回、見たか見なかったかぐらいです。
画面のテロップには「奥田美和子 デビューシングル しずく」と出ているのに、
顔は映らないわ、
CM内でイントロなのか間奏なのか、ストリングズのオケが流れてるだけで歌がまるで流れてないわで、
奥田さんがどんな人なのかどんな声なのかさっっっっっぱり分からない感じで、
だから逆に、めちゃくちゃ気になったのです。
すげえCMだと思いました、正直。
本人をまったく出さない、その潔さ。
そして、このCMを作ったのは一体どんな人なんだろうと思いました。
なんだこのこだわりとセンス。
そして、奥田さんの良さを熟知し、奥田さんをどれだけ大切に想っているスタッフが、このCMに携わったんだろうとも思いました。
とっておきのプレゼントに、目で見て一瞬ですごいものが入っているって分かるように、特別なラッピングがされてある、
そういうCMだと思ったのです。
だって、声も顔も全然分からないのに「奥田美和子すげえ新人に違いない」という印象が強く残ったから。
CMで流れていたストリングスがひときわ耳に残りました。
とても好きな旋律だった。
だから、テレビは付けっぱなしにしているけど何か作業をしている時も(テレビを見ていた時代もあるのよ天野)
あのCMが流れると、テレビの方へつい振り向いてしまうわたしがいました。
「しずく」はその後、有線か何かで聞きました。
あ!!あの曲だ!!うぉおおいい曲、好きな声!!と思ったのと同時に、
あらためてCMのセンスを思いました。
友人の手を伝って戸倉氏にわたしのデモテープが届き、戸倉氏から連絡が来たのはその半年後。
友人の知り合いのレコーディングエンジニアさん経由で、戸倉氏に紹介してもらえたのです。
戸倉弘智、どんな人なのかまったく分からなかった。
当時のわたしの認識としては「業界にたくさんいるだろう音楽プロデューサーのひとり」でした。
戸倉氏からの初電話、しょっぱなからいろんな雑談をしたのですが、
電話を切る手前で、自分がどんなアーティストをプロデュースして来たか、という簡単な自己紹介をされました。
そのプロデュースしたアーティストの中に、
奥田美和子さんの名前があったのです。
うぉおおおおお!!!ここに繋がるのか!!!!マジで!!!???でした。
奥田さんのデビュー曲のCMを見ましたあれはヤバかったですと返したら、
「あのCMは僕が考えた」と言われました(多分ドヤ顔で)。
それを聞いて、わたしは戸倉氏に自分の音楽を委ねる事を決めたんです。
会ってもいない、電話で話しただけの、一体どんな人なのか全く分からない状態で。
この人にプロデュースしてもらいたいと思いました。
「僕は、アーティストを大ヒットさせた経験がない。だから僕とやっても売れる保証はない。人と人は合う合わないがあるから、まずは会ってみないと何とも言えないけれど、最初に聞いておきたい。僕でも大丈夫か」
と念を押すように聞かれたのも覚えています。
二つ返事で大丈夫ですお願いしますと答えた事も。
音楽業界のことなどまったく分からなかったアマチュア時代のわたし、
プロの世界では、自分がやりたい事なんて出来なくなるんじゃないか、
そういう気持ちがなかったわけではありませんでした。
でもいつだって戸倉氏に自分という「船」の舵を預けて来られた。
漠然と、自分が向かう方向を信じて来れた。
わたしは波に揺られながら、風景を眺め、時々カモメや魚と挨拶する、ただの船でいられた。
戸倉氏とはもう長い付き合いなので、
忘れてしまいがちなのですが、
戸倉氏は、人を童心に戻す人。
そうする事で、わたしたちアーティストの本質と向き合ってくれる。
こいつはどこまでガキなんだ‥‥‥と、わたしの事なんかは非常に手を焼いたんじゃないでしょうか。
今でも若干そう思われてると思いますけどね。
奥田さんの「しずく」に出会えて良かった。
そして、戸倉氏と出会えて良かった。
戸倉氏と出会えたから、わたしは自由な自分でいられます。
音の倉4の準備をしながら、この事を思い出していた天野です。
後輩が多くなった今、
わたしにとっての奥田さんのような存在に、
わたしはちゃんとなれているのかなぁって思います。
なれていたらいいなぁ。
物販で奥田さんのファンの方が奥田さんに、
「しずくが好きです!!」と言ってらっしゃいました。
奥田さんの隣にいたわたし、
思わず「わたしも好きです!!」と答えました。
ファンの方、天野に言ってないよ??って思ったかもしれないですけど(汗)
わたしにとって、本当に思い出の1曲なんですよ。
聞いた事のない方、聞いてみてね。
戸倉節満載だと思うから。
長文、お読みくださったみなさま、ありがとう。
さてさて、京都の準備に戻るよ。
しゅたっ!!!