26日の昼公演は、
所属事務所音倉の15周年記念イベントライヴでした。
わたしはトップバッター。
なので、この曲ライヴ開幕で歌ってみたいなあってずーっと思ってた曲を1曲目にしました。
「HANDS」です。
「HANDS」はご存知の通り、生楽器が一切入っていない曲。
しかも、一気に盛り上がるようなナンバーでもない。
1曲目に置く場合には、この曲のメッセージを届かせたいライヴである必要がある。
ずっとその機会を失くしたままだったのです。
わたしがデビューした頃の音楽界は、
まだきらびやかな世界でした。
作ってレコーディングして撮影してライヴするっていう、
今と同じ流れだけど、
今と違って活気があったです。
わたしたちがやってる事は、音楽の歴史の1ページを刻めるかもしれないよね、っていう活気です。
きっと誰もがそれを願い、それを目標に世の中に出て行きました。
でもこの10年で、それは変わった。
そういう色々な想いをね、
この曲を歌う事で伝わったらいいなって思ったのです。
まだ行けるってね。
2曲目は「劔」
この曲もなかなか通常のセトリには組み込めないもののひとつ。
サポートメンバーはこの曲からオンステージ。
山田章典、武並JJ俊明、杜若謙多郎(BugTheMic)
そう言えば余談ですが、
音の倉全体リハをしていた時に、
控え室で中山彩さんの楽曲「ナイフ」について、
「そもそも相手にナイフを預けるか」的な女子トークが繰り広げられ、
預けない派が多かった印象でした。
ではわたしならどうかと話を振られたので、こう答えた気がします。
「本物そっくりだけど全く切れないナイフを渡しておいて、自分が本物を所持する」
「劔」もどっちかっていうとこんな内容だよね(笑)
3曲目は「スパイダー〜月にほえろ〜」をセレクト。
「スナイパー」のカップリングで、「スナイパー」が表面になりましたが、
タイトル的にはどっちでもいいんじゃないかねって思って書いた曲だったりします。
最初からどっちでもいいと思ったのが良くなかったのか、
かなりの頻度で表面とカップリングの表記が逆になってて(雑誌とかね)
その都度訂正願いを出した思い出もあります(笑)
と、ここで一旦はけて、2時間半後ぐらいにQoonieに呼び込まれ、再びステージへ。
QT「砂」です。
Qoonieは音倉のリリース第1弾アーティスト。(2001年1月1日の元旦デビュー)
わたしは第2弾。(2001年4月1日エイプリルフールにデビュー)
わたしたちはライバルとして育てられました。
売り方、見せ方、ライヴの仕方、何もかも逆だった。
弾き語りを軸に、全国のいろんなライヴハウスなどで細かく活動して行くQoonieを、
正直羨ましく思った事もあるし、
Qoonieにしてみればその逆の感情があったと思う。
そんなわけで、連絡先を交換するまでに2〜3年かかっています。
控えめで穏やかな人のように見えて、実は喜怒哀楽が凄まじく、
ぐわっと泣き出したり、かと思えばケラケラ笑い出したり、めっちゃイライラしてたり、
顔を見ただけで精神状態が分かってしまうぐらい正直で、
でも根っこが気い使いで人見知りで強がりだから、言葉では感情を露わに出来ない。
と、こんなに本当の事を言ったら姐さんにまた叱られるかな(汗)
でもQoonieの、人としての魅力は、まさにここです。
口では言えない気持ちが彼女の音楽になる。
わたしもそうだよ。
間奏の部分で立ち位置変えてみようかって直前に話して、本番で実践してみました。
15年活動してきてもぶっつけ本番が出来ないわたしたちをとくとご覧あれ。
「行くぜ」「おう」
もうすでに半笑い。
「wwwwwww」になっておる。
無事にチェンジ完了。
Qoonieの曲は、少し少年ぽいというか、あんまりドロドロした感じのがなくてね、
そんなQoonieにわたしは実に女っぽい歌詞を載せて歌わせてみたかったのです。
この曲はそうして出来上がりました。
Qoonie作曲、天野作詞、QTで「砂」
またいつか共作しようね。
最後に「セイリング」を全員で歌ってフィナーレでした。
出演者全員集合図。
と、ここで愛条さんが自分のパートの部分でサブステージへ。
えっと次はわたしが歌うんですけどね、ひかるからのバトンどう繋げばいいのこれwww
セイリングこんな曲だったっけ???
この後にジュウゴネンジャー2日目を控えており、
楽屋から出ずにいたので、
全体のイベントがどうだったのか分からない部分もありましたが、
わたしとしては楽しいイベントになりました。
詳細は、それぞれの出演者のブログなどに飛ぶといいと思うよ!
お越し下さったみなさま、ありがとうでした。
恒例の一本締めで閉幕。