種蒔き。

雑音生活

種蒔き。

先日、プライベートな友人から幸せな報告があった。

不幸と幸福は、同じ分だけ降りかかってきて、
意地やプライドをかなぐり捨てて、時には自然な流れに身を任せて、
手放すべきものをちゃんと手放し、空いた手のひらで掴めるものを掴んでくれば、
禍福、どちらの重さも釣り合うようになっているんじゃないだろうか、
とずーっと昔から漠然と思っている。

彼女は不幸の秤が少し重かったかもしれないような人生だったから、
うんとうんと幸せになってほしいと思う。

彼女の報告は、あるべき場所まで感覚的に戻って、種蒔いて花咲かせたんだなって感覚があって、とても嬉しい。

  

置かれた場所で咲くって言葉は嫌いじゃないけど、
個人的には、ちょっと語弊があるように思っている。

どんなに、ここを選ぶしかなかったっていう場所だったとしても、
流された先でたどり着いた場所だとしても、
誰かに手離された先にあった場所だとしても、
生まれ落ちた家庭環境以外は、流されたのも選んだのも手離されたのも自分が選んだんじゃないかなと思うからだ。

自分で蒔いた種は、自分で刈り取りなさい、という言葉が好き。

これって、禍の方がよく使われると思うんだけど、そっちばかりじゃないよね。
良い種は、良い収穫物になったりするはず。

 

自分で蒔いた種は〜は、幼少時、人付き合いが出来なくて(今も出来ない方だよ、言わせるな)問題児だったわたしがよく言われた言葉だけど、 
ってことは、蒔かなきゃ何にも実らないんだなと思った言葉でもあった。

いつか、自分が蒔いた種が誰かの収穫物になる、そんな日が来たらいいなぁ。
もちろん、良い種の方ね。

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