平岩英子さん。

雑音生活

平岩英子さん。

平岩英子さん、
知ってる人もいるかもしれないけれど、
このブログを見てくださっているほとんどの方が知らないのではないかと思います。

英子さんは、ソニーに所属されていたシンガーソングライターで、
ソニーを離れた後に、わたしの元事務所である音倉に初期メンとして所属されていました。
だから、わたしの直属の先輩です。

英子さん、Qoonie、天野の3人は、
設立当初の事務所で三姉妹と言われていました。
長女の英子さん、次女のQoonie、そしてわたしです。
わたしは末っ子魂全開だと、スタッフに笑われたっけな。

今日は、英子さんのご自宅へ、弔問に伺ってきました。
Qoonieと、みかさんとの3人で。

英子さんが昨年3月に亡くなっていた事実を知ったのは、
昨年の年末に差し掛かった頃です。
御遺族が発表されていないのでわたしも詳しくは言いませんが、原因はご病気です。

最後にお会いしたのは、戸倉氏の葬儀会場でした。
あ、英子さんだと思って声をかけようと思ったんだけど、
気づいた時には、もう葬儀会場を後にされていました。
英子さん、誰よりもそういう気の遣い方をされる方だった。

英子さんは、
戸倉氏が見出した、一番最初のシンガーソングライターです。
最初にして、最高峰。
だからわたしを含め後輩たちは、
英子さんは必須科目で、各々履修してきたんじゃないかって思います。
わたしなんか、それはそれは、その後の人生観に大きく影響を与えるぐらいにはめっちゃ学びました。

音倉設立当初、これから忙しくなるかもしれないからって話になって事務所の近くに引越しした時、
あえて、英子さんの住んでいる街をわたしは選んだ。

ひょっとしたらすれ違うかもしれないぐらいの場所に、身を置きたくなったからなんだけど、
いざ住んでみたら、
英子さんの住んでいたマンションが目と鼻の先にあってね、
本当に何度かすれ違いました。

英子さんの当時住んでいたマンションは、どこか竜宮城のような、和洋折衷な構えをしていて、
あまりにも英子さんが住んでいそうだったから、
わたしたちの間では、英子御殿と呼ばれていました。

ある時、英子さんが御殿から出てきたところとばったり出くわして、
「あら月ちゃん。
わたしね、今から友達が開くバーベキューに行くんだけど、
OLのコスプレをしてみたの。どうかしら、わたしOLに見える?」

と唐突に聞かれて、
白い開襟シャツに、とても華奢なネックレス、グレーのタイトスカート、黒いパンプスで、髪は後ろにきゅっと束ねていて、「確かに」と思ったので、
「見えます、大丈夫です」
と答えたら、
「そう?なら良かった」
とめっちゃハイセンスなボルドーの日傘をさしながら、駅まで小走りで駆けていかれて、

きっと、一般の仕事に就いている人たちも集まるようなバーベキューなんだろうな、その会場の場に自分が馴染もうとしたんだろうなって、
その時思ったんだけど、

その日傘が、、、平岩英子を隠し切れてないぞ、、、、(笑)
とも思いました。

という話を戸倉氏にしたら、腹を抱えて笑っていたのも記憶に残っています。

アバンギャルドで、自由奔放で、
とても自分に素直で、子供のように真っ直ぐな目をしていて、
こんなにナチュラルに生きている人がいるのかと思うほどナチュラルな反面、
こんなにギャグで生きてる人もいないのかもしれないと思わせるほど最高に変わり者で、
何から何までびっくりするほどお洒落で、
お姫様のようなところもありながら、周りの事をとても良く見ている気遣いの人だった。
ずっと前にレコーディングエンジニアと、
英子さんは、存在自体が音楽そのものだよねって話をした事があるんだけど、
今でもその気持ちは1ミリも変わらないです。
まるで呼吸をするように、ご自分の音楽を奏でて歌う人でした。

ずっと、大好きな、尊敬してる先輩です。

英子さんが亡くなった事、まだ信じられません。
いつかまた、どこかでひょっこり会える様な気がしていたし、
もっと直接触れて、直接話してみたかったです。

あなたの後輩でいさせてくれて、ありがとうございました。
わたしが吸収させて貰って、わたしの一部として存在している「平岩英子」を、
これからも大事に大事にしていきます。

ご遺族のみなさま、わたしたちに弔問の機会を与えてくださり、本当にありがとうございました。


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