何か物を作る人になりたい、
というのがわたしの幼少期からの夢だった。
一番最初の夢は、画家。
父親が美大に行っていた人だったので、
その流れで物心ついた頃には絵を描いていて、
小学校では学校教材の絵の具セットを買わずに、
すでに自分が使っていた大量の絵の具といくつも細かく区画のある水入れ、木製の画板と大量の筆を持参した。
木製の画板、今も売ってるのかな〜。めちゃ重いのよ。
漫画家にもイラストレーターにも、
詩人にも、もちろん作詞家にもなりたかった。
中学1年生の時の国語教師だった担任が、
自主学習をしてきてもいいし、しなくてもいいけど、
してくるなら見るよ、という本当の意味での自主学習という宿題を出す人で、
クラス全員が強制的に自主学習ノートを作らされた。
成績にも内申書にもまったく影響のないものだったので、学習してくる人はほとんどいない。
わたしはその教師とウマが合ったというか、一方的にわたしが懐いた感じで、
毎週のように、自分の詩を自主学習ノートに書いて提出した。
ノートには、いつもきちんと感想が書き添えられていた。
あの自主学習ノートによって、自分の詩を見てもらえる人間がいる環境に身を置けたので、
成績には1mmも関係しなかったけど、
わたしには大きく意味のある1年だったろうな、と今振り返っても思う。
そのまま表舞台には立たない裏方になるはずが、
高校で演劇部に入ってしまって、そのまま演劇学科に進んだ。
演劇は自分には向いてなかった、と今でも思う。
演劇の世界、ことのほかお芝居は、集団である事を求められる感じがある。
それまでひとりで物を作ってきたので、
誰かが納得するものを、集団で作り上げなくてはならない事への馴染めなさがあった。
という理由ではないのだけど、
演劇学科1年目にしてギターで弾き語りをする道に逸れ、
なぜだか音楽の方で人の輪が広がってしまって、
今に至る。
歌うのは嫌いじゃないけど、別に得意じゃない。
たくさんの歌手の方々を実際に見てきた今も、
わたしは歌が得意じゃないな〜って思う。
だから続けていられるのかもね。
伸び代しかないので(笑)
人の輪が広がらなかったら、音楽を続けてなかっただろうなって思う。
わたしはきっと、自分と一緒に、自分が納得する物を作ってくれる人たちと出会いたかったんだ。
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