自分基準。

ひとりごと

自分基準。

わたしは昔、ヘッドフォンを着用しながら街を歩くのが好きな人間だった。
イヤフォンじゃなくて、ヘッドフォン。
まだスマホのない時代の話。ヘッドフォンの先にはポータブルCDプレーヤーか、ポータブルMDプレーヤーが繋がっている。

そのうち、自分のデモテープを外出先で聞かせることが多くなって、音漏れ防止のためにインイヤータイプのイヤホンも持ち歩くようになり、
だんだん2つの音響機器を持っている事が面倒になってイヤホンに変わったが、
それまでは電車の中で音漏れしていようが一向に気にせず、爆音で音楽を聴いていたし、首元にお気に入りのヘッドフォンをぶら下げている自分自身の事が好きだった。

ところで昔から言ってきているが、わたしはショップ店員に話しかけられるのが好きじゃない。
接客業だから接客しなくてはならないのだろうし、
店内の監視をする意味でも、客の動向に目を配る必要もあるだろうけどね。

ヘッドフォンで音楽を聴いていると、さすがにショップ店員から話しかけられる事はなかったと記憶している。

有線イヤホンは、話しかけられる。それこそ店員さんどころではなく、道を尋ねられる事も、飲食店の勧誘を受ける事もある。いろんなところで話しかけられる。
ワイヤレスなんてもちろんそうだろう。

人は人を見ているようで見ていない。
そこまで他人に興味なんてないからね。

世の中には驚くほど視野の広い人間と、そうでもない人間がいる。
そうでもない人間の方が圧倒的に多いので、
ひとつの問題について取り組んだり、真面目に議論をすると、
それぞれの視野や被写界深度の食い違い、プラスそれぞれの正義感の方向性の違いで、衝突が起きる。

わたしたちが正しい、いやこちらが正しい、
こうあるべきだ、こうでなくてはならない、
常識的にはこうだ、世界基準ではこうだ。

それらは全部、あなたの視野で物事を見た、あなたの基準だ。

誰を何を護りたいかというそれぞれの愛情こそが、衝突の火種になるものだと思っているけれど、
そのそれぞれの愛情は誰にも否定されるべきじゃないし、
その愛が、外野の基準によって焦土されていいものではないと思う。

人は人を見ているようで見ていない。
自分基準で生きている。
それは消して視野が広くない、わたし自身にも言える話。



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