名前を持つ星と名前のない星。

雑音生活 ひとりごと

名前を持つ星と名前のない星。

アコースティックアルバム「宇宙科学館」
到着し始めている頃だと思います。

CD帯のキャッチコピーは、
新曲「Gravity」の歌詞の一節ですが(「水族館」の時も「海のダイヤ」の歌詞だったね)

曲のタイトルを「Gravity」に決める前、
別のタイトルで曲を書こうと奮闘していた時に、
アレンジャーの籠島さんから、
88星座は、ほとんどかぶっている星がないという話や、
88星座表一覧のサイトなども教えて頂き、閲覧してたりしたのです。

その時ふと、
星座になるような星たちには、女神だったりの意味を持つ名前がつけられているけれど、
名前がなく、記号のみの星ってたくさんあるんだろうなって事が頭をよぎった。

お芝居の、主役やサブキャラには名前があるのに、
村人Aとかには、読んで字の如く、名前がつけられていない。
ドラマや映画のモブにも、配役の名前はない。

みなさんの人生は、どっちだろう。
世の中の99.9%ぐらいの人が、どっちの側面もあるんじゃないかって思う。

わたしは、
知る人ぞ知るだけど、
大きくふたつに分けなくてはならないなら、名前がある方に分類されるだろう。

名前を持ちたくて、いろんな岐路を選んできたしね。

先日、それこそ誰もが知っているような方のインタビュー動画を見た。
見たというより、ながら聞きした、が正解なんだけど、
その方が社会という壁にぶち当たった時に、大先輩から
「自分のやりたいように、やり続けたらいい。そのうち周りが諦める」
と言われたと語った話に、耳が奪われた。

そう。
わたしも幼少期に、
わたしの事は早々に諦めてもらおう、
この子はこういう子だから仕方ないって思って貰わないと、
わたしは自分の進みたい道に、自由に行けないって思って実践してきた。

こういう意味での「諦め」は「認め」に近いと思うんだけど、
外の社会に出たら、今度は本当に、誰かに認めて貰わないと先がない。

おし、認めてもらおうって進んだ外の世界は、
同類の吹き溜まりだった。
友達なんてできないなって思ってたけど、
出会う人全員友達だって思えるような環境を得た。
とっても居心地が良いけれど、
ここで溜まっていては、またしても先がないって思って、
そこでも「諦め」て貰うように動きながら、
わたしは音楽をはじめた。

デビューからの数年間、
自分を認めてくれた大人たちが、常に自分の周りにいた記憶がある。

生意気で世間知らずで、正直すぎて人付き合いも下手で、礼儀もわきまえず、身の程も考えずに輪の中に入っていって大人と肩を並べようと向かってくるわたしをありのまま受け入れ、
ダメな所はサポートし、
いい所を伸ばそう伸ばそうとしてくれた。
一緒になって、社会に諦めて貰えるように、挑んだりもした。

あの人たちが、わたしという存在の真ん中に、今もいる。

そうして今、サポートを受けている自分の周りにいてくれる人たちも、
いつか吸収して自分の真ん中になるんだろうなって、
そんな事を思う。

でもわたしは、知る人ぞ知るな上に、
本名で活動しているわけではないので、
モブになれる時間もたくさんある。 それはもう、たくさんある。
モブは自由で楽しいんだけど、
不思議とその楽しみは続かない。
活動名を明かす必要性のない場所だと、
わたしには、猫と暮らしている独女以外のアイデンティティがないからだろう。

名前のある場所は、その人にとって一番大事な場所だ。
なぜなら、名前は役割みたいなものだから。
大事な役割に徹するために、モブになっていたい時もある。

麦さんは、モブ天野を支えるパートナー。




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