リクエストアワー2014に向けて、その弐。

雑音生活

リクエストアワー2014に向けて、その弐。

「Meg Lion」まで。

シャロンを十二単にしようと思ったのはアルバムが出来上がるだいぶ前からでした。

Treasureの時に「ラフな格好がいい」という衣装案の中でジャージはすでに出ていて、
でもジャージはもっとスペシャルな時までとっておいたら?とスタッフからのアドバイスがあり、
メグまでとっておいたのでした。

 

シャロン発売からメグ発売までの時間は半年。

制作前から、シャロンが表ならメグは裏になったらいいという思いがあったので、
かたや十二単、かたやジャージで、
ジャケットの色味も赤と青に分けました。

メイクを取ったすっぴんのような、そんなアルバムを作りたかった。

だから自叙伝的なアルバムだと思っています。

 

というメグのレコーディングは、
音的にも若干ラフなもの、目の前で演奏しているかのようなものを目指し、
市民ホールを3日間借りて、
ホールの響きそのものを録るという方法が取られました。

これは後の「Licht」にも少し繋がってきてるよね。

 

ホールで全曲リズム録りしたわけではないけれど(人形とかライオンは早めに作っていたのでスタジオレコーディングです)
6曲ほどは録ったかと思うです。

3日という時間の中で、
電源などの勝手の分からないはじめて使うホールで、
どんな響きになるのか実際に録ってみないと分からない事もあり、

メグの曲たちは、リズム録りまでに入念にプリプロをし(ほぼ1ヶ月間スタジオに篭ってました。世の中夏休みだったので、何の夏期集中講座かと思いました)
後はリズムを録るだけの状態にしてからホールに向かいました。

本当はドラムギターベースがステージに上がった状態で、せーので録りたかったのですが、
ホールに響きすぎて実音がちゃんと聞こえないという理由で、
ベースだけ別室の、会議室のような狭い場所で弾いています。

 

場所は黒磯文化会館。

途中レコーディングを抜け出して、
ここなら素敵なのが揃うのではないかと、近くの用品店でジャージも購入しました。
青いジャージが中学校指定のジャージ、下に来ている半袖は小学校指定のジャージだったと思います。

その用品店には、いわゆる正しい上履きがなかったので、
上履きを探しにダイエーにも寄りました。

一緒に買いに行ってくれたレコード会社の担当さん(40代半ば)が、
「僕、月ちゃんとふたりきりじゃなくて良かった。どう考えても絶対に怪しい、僕が笑」と言っていたのが鮮明に記憶に残っています(笑)

衣装の買い出し、メイクさんが車を出してくれたのね。

夏の終わり、ちょっと涼しくなって来た時期。
「今日は気持ち良さそうだ」と言って、
帰りの、文化会館までの一本道、
コンバーチブルカーのルーフを開けて、オープンカーで走ってくれた。 

黒磯市は名前が変わったんだっけ?
でもあの付近の人分かるよね、あの道だよ。

文化会館の目と鼻の先にある焼き肉屋さん、まだあるのかなぁ。

「この曲終了したらあそこの焼き肉屋に行こう」と言ったら、一発OK出したよねJJ(笑)

  

A→B→サビと各パーツ5度ずつ(5度=全音3つ+半音1つ)転調して、イントロパターンで半音下がって一巡するオクターブ転調曲人形。ものごころ付いた時から、わたしはこんなだったと思うよ。

確かに人魚はエラ呼吸じゃないだろうよ(笑)

日曜日の「洞窟のような店」はモデルがあるですよ。

たんぽぽが綿毛になる瞬間ってなかなか見れないよね、という中学生の頃に書いた詩を元に作った曲ダンデライオン

メグは絵本と同時進行で作っていたのだけど、途中途中で絵本の制作を止めながら曲作りをしていて、曲作りの方がなかなか思うように進まなかったので、息抜きに、絵本「メグとライオン」のテーマソングを作りはじめて着地したのが時計台の鐘。相手の気持ちの移り変わるスピードに付いて行けない事を遅刻に比喩したという説明をアレンジ前にボスにはしていた。

曲作りをしてると、偶然曲の内容に近いものに遭遇したりするんだよね、というのを書いた曲、

自分にとって歌とは何か、曲を作るとはどういう事か、思い出を焼いてしまう事に近いのでは?その思い出を焼いた炎で誰かを温めたいと思うのはただのエゴなのか、という事を書いた曲、銀猫

事務所の引っ越しを手伝いしていて、引っ越しをテーマに書いた曲、ライオン

家に帰ったらベランダに鳩が住んでいて困った、という事実を歌ってみたpigeon

メグライアンを文字ったアルバムで、映画「めぐり逢えたら」を文字ったライヴをするのなら、トムハンクスも文字るべきかと。ブラックノンシュガー。

人形が飾り棚の中から抜け出した先には、天に繋がるツタが伸びていた。ジャックと豆の木のような大きな大きなツタを想像し、それを登って行くようなイメージで書いた曲クレマチス。わたしが歌という表現に出会い、歌い始めるまでの歌。We can goの部分は、人数感を出したくて、ボスとQoonieがコーラスに参加してくれてるんだよ。

 

曲を作って、リズム録りの間にスタジオに画材持ち込んで絵を描いて、家に帰って絵を描いて、歌入れして、という怒濤の2002年後半だったなぁ。

これは、クレマチスのレコーディングの時にスタジオで描いてたんだよ。

ライオンステッカー_イラストミニ

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